DHWJ デザイン史学研究会 DHWJ

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『デザイン史学』第4号(2006年度)

論文1

東洋と西洋の融合——ウェルズ・コーツ、ジャポニスムそしてイギリスの近代運動

アナ・バッシャム
森純子 訳

キーワード

ウェルズ・コーツ、建築、日本、イギリス、ジャポニスム、モダニズム

概要

1850年代中頃から、アール・ヌーヴォーの発展までにおけるイギリスのデザインへの日本からの影響はよく知られているが、両大戦間期の日本からのインスピレーションは、さほど一般には認められていない。しかし、建築家であり、デザイナーでもあったウェルズ・コーツのデザインが実証するように、日本からの影響は、1920年代そして30年代にもみられ、モダニズムのデザインや建築への重要なインスピレーション源であったと考えられる。

イギリスの近代運動の中心人物であったコーツは、彼が日本で受けた教育と幼少期に受けた影響が彼の作品に多大な効果を与えていることにしばしば言及していた。本論文では、コーツのデザインと執筆、日本の建築物に関する記述やイギリスにおけるデザインのモダニズムへの彼の貢献を考察することにより、日本そして日本建築に関する知識の伝道者としてのコーツの重要性を論証することを目的としている。

カナダ建築センターのウェルズ・コーツ資料室での研究から、日本で過ごした成長期に、コーツが日本文化に晒され、それを吸収していったことを確証するに至った。それらの資料がどのように、コーツの作品への私の解釈また理解に通じたかを、本研究にて実証する。


論文2

岩村透の「ウイリアム、モリスと趣味的社會主義」を再読する

中山修一

キーワード

ウィリアム・モリス、社会主義、岩村透、「ウイリアム、モリスと趣味的社會主義」、富本憲吉、「ウイリアム・モリスの話」

概要

日本におけるウィリアム・モリスの紹介は、1890年代のはじめから始まる。それは、極めて断片的なものであり、主として詩人あるいは社会主義者としてのモリスを扱うものであった。その後、英国留学から帰国した、のちに陶芸家となる富本憲吉が、1912年に、エイマ・ヴァランスの書物に基づき、工芸家としてのモリスに関しての評伝を発表し、続いて1915年には、第4次外遊ののち、東京美術学校(現在の東京芸術大学)の西洋美術史の教授であった岩村透が、「ウイリアム、モリスと趣味的社會主義」を書いている。

この論文の目的は、岩村透の「ウイリアム、モリスと趣味的社會主義」に焦点をあて、その内容を検討するとともに、東京美術学校における岩村のかつての学生で、その3年前に「ウイリアム・モリスの話」を執筆していた富本憲吉とのモリスをめぐる関係を明らかにすることにある。

考察の結果、富本が美術学校の学生であったころに、「富本が岩村からモリスについての知識と興味とを植えつけられた」という従来の通説には、必ずしも根拠があるわけではないことが明らかになった。このことは、富本のモリスへの関心が学生時代いかにして形成されたのかについて今後再検証する必要性を意味している。さらに本論文における考察をとおして、岩村が「ウイリアム、モリスと趣味的社會主義」で描き出したモリス像は、底本のアーサー・コムトン=リキットの著作内容からも一部逸脱し、また、社会主義者モリスの実像からも大きく遊離したものであったことも判明した。そうしたモリス像のより適切な修正は、1920年代はじめの、つまり「大正デモクラシー」の絶頂期の新たなモリス研究の再開まで待たなければならなかった。

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