『デザイン史学』第1号(2003年度)

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目次

巻頭
『デザイン史学』の刊行にあたって/中山修一

論文
ナショナル・アイデンティティの表象??ハンガリーのポスター 1885‐1930/井口壽乃

「美術製造」の周縁ーー19世紀半ばのマンチェスターにおける芸術振興とデザイン学校/菅靖子

回顧と展望ーー21世紀におけるデザイン史/ジョナサン・M・ウッダム

書評
ヴィクター・マーゴリン『人工の政治学』/評者 サラ・ティズリー

柏木博『モダンデザイン批評』/評者 門田園子

ノイズ
東西のふたつの点の狭間に遊ぶ/南武

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会則

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巻頭

『デザイン史学』の刊行にあたって/中山修一


論文1

ナショナル・アイデンティティの表象ーーハンガリーのポスター 1885‐1930/井口壽乃

[ キーワード ]
ハンガリー、ポスター、ナショナル・アイデンティティ

[ 概要 ]
本研究は、視覚的メディアであるポスターを東欧の一国ハンガリーを取り上げ、ナショナル・アイデンティティの文脈から考察するものである。ハンガリーのポスターは、ハプスブルク帝国内の複雑な民族問題と歴史を背景に、世紀転換期、第一次世界大戦期、戦後の革命期、両大戦間期、社会主義時代および体制転換期と、社会・政治体制の変化によって大きくその内容が変容した。つまりデザインは、単に製作者の美的感性や個性から生み出されるのではなく、時代と社会の様々な関係性によって生まれ、形式や表現が決定されてきたといえる。
周知のとおりポスター製作には、経済的活動としての広告と、国家による政治的要請による宣伝の双方の目的によるものがある。博覧会やオリンピックに関係するものは後者の例として挙げられるだろう。そして政治的な要因によって創造されたデザインは、国の歴史を形成する重要な意味をもつに至る。特に民族間の利害が複雑に絡み合う戦時期や革命期においては、国家のナショナリズムが芸術家の創造的思考や感性をひとつの方向へと導くことも少なからずあり、延いては国民国家の同一性を意識的につくり上げていくことになる。本研究では、この国民国家の文化的なアイデンティティをハンガリーのデザイン研究を通じて、具体的に考えていく。

世紀転換期から第二次世界大戦までのおよそ半世紀に、ハンガリーにおいては、ナショナリズムの高揚とともに誕生した民族的な様相を帯びたポスターと、インターナショナリズムの傾向のポスターとが生成した。それはこの時代のデザインそのものが第一次世界大戦をはさんで、19世紀末からのセセッション様式の名残を見せる装飾的なものから、合理主義・機能主義的なデザインへと移行することと平行している。この変容は何を意味しているのか。マジャール民族のアイデンティティは、芸術家の創造活動にどのような影響を与えたのだろうか。
調査は、ブダペシュト軍事歴史博物館 (Haditörténeti Múzeum Budapest)、ブダペシュト市サボー・エルヴィン図書館 (Fővárosi Szavó Ervín Könyvtár)、国立セーチェニ図書館 (Országos Széchenyi Könyvtár)、国立ギャラリー (Magyar Nemzeti Galéria) にて行った。


論文2

「美術製造」の周縁ーー19世紀半ばのマンチェスターにおける芸術振興とデザイン学校/菅靖子

[ キーワード ]
マンチェスター美術学校、美術名宝展覧

[ 概要 ]
1852年、マンチェスターに拠点をおくキャリコ捺染業者エドマンド・ポター(1802-83年)は『美術製造としてのキャリコ捺染』と題した小冊子を出版した。海外市場を中心に大衆向けのキャリコ捺染製品をてがけていたポターが、大英博覧会(1851年)の直後に、キャリコにあえて「美術」を冠して論じた背景には、キャリコのデザインに対する批判やデザイン学校の運営方針をめぐる論争、そして地方都市の文化的顕示欲といった事情が複雑に絡んでいる。
東インド会社によってインドからキャリコ製品がもたらされて以来、キャリコ捺染産業は、イギリス国内において伝統的な毛織物産業との確執を越え急速に発展する。鮮やかなパタンと色彩をもち、従来用いられていた毛織物よりも安価で、高価なフランス製絹地の代替物として活用できるほど薄地であり、繰り返し洗えて衛生的であるという、優れた特徴を合わせもっていたためである。これにより、下層階級も色鮮やかな布地に身を包むようになり、ファッションの大衆化がもたらされた。しかしキャリコが色彩やパタンといったデザインを特徴としながらも、産業革命期に大きく躍進したキャリコ捺染産業が力を入れていたのはデザインの質の向上ではなく、むしろローラー捺染機やシリンダー印刷機の開発、そして化学染料の開発といった技術革新であった。デザイナーには「主な使用者であるご婦人方の移ろいやすい気質を満足させるように、新しい気まぐれをつくり出す有益な思いつき」や「目を引くに足るだけの混乱を作品に与えるような大胆な想像力」は求められても、芸術性はさほど問われなかった。19世紀に入り、フランス、ドイツが技術的に追い上げると同時に、キャリコ捺染産業の中心地ランカシャーの製品が「悪趣味」であるとして批判の標的となる。大英博覧会の前後、ヘンリー・コールは「フェリックス・サマリー美術製造会社」を設立して美術と産業の融合をはかり、『デザイン・製造ジャーナル』(1849-52年)を通してデザインの理論化を促進し、それを「装飾美術館 (Museum of Ornamental Art)」(1852年)として具現化していった。時期を同じくして、キャリコ捺染産業への風当たりは一段と強くなっていた。そのような状況下、国家を後ろ盾にするコールと彼とともにデザイン改良を訴えた一派に反駁を加えたのが、反穀物法同盟に参加し、政治家としても活躍した強弁なポターであった。
コールらによるキャリコ捺染批判に対するポターの反論は、この時期のマンチェスターにおける芸術の受容とデザインの関係を把握するための基軸となる。19世紀半ばのマンチェスターは、デザイン教育の方針や首都と地方の確執などが趣味の議論と相まって、多層的な問題を呈していた。また、コールが同地のデザインやデザイン教育を批判したのは、デザインの問題からだけではなく、芸術振興の動きと直接連関していた。これまでのデザイン教育史の研究のなかでは、マンチェスターにおいて具体的に誰がどのようにデザイン教育と芸術文化を繋いでいたのかに関する言及は限られている。一方で、同市における芸術振興については、中流階級の「俗物根性」に駆り立てられた文化活動が主に焦点となってきたが、当時のデザインが抱えていた問題との関係については追究されていない。また、ホルマン・ハント作「良心のめざめ」の注文主として知られるトマス・フェアベインはよく注目されるが、マンチェスター・デザイン学校で長年要職に就き、デザインと芸術振興との架け橋となったポターは芸術振興の議論のなかにはほとんど登場してこなかった。
本稿では、マンチェスターにおいて芸術振興とデザイン学校がどのように関わっていたのかを探る。まずはキャリコ捺染産業に対する批判の射程を概観するために、マンチェスターに設立されたデザイン学校の方針の揺れを検証し、次いで、大英博覧会後のデザイン批判、およびその直後にポターが出版した上述の『美術製造としてのキャリコ捺染』および『1851年博覧会委員のひとりへの手紙』(1853年)に集約された、いわば製造業者のマニフェストとしての趣味論、デザイン教育論、芸術振興論を検討し、当時のマンチェスターにおいて産業とデザイン、そして美術がどのように連関しつつ展開したのかをたどる。それからデザイン教育と芸術振興とが直接交差する事例として、英国美術名宝展覧会(1857年)をめぐる様々な思惑を浮き彫りにする。デザイン教育はロンドン、すなわちコールの立場から語られることが多かったが、地方の、とりわけ実際にデザイン学校の運営にあたっていた富裕な産業家階級を代表するポターの視点を中心に据えることから、デザイン学校がいかに地方の芸術振興のメディアとなっていたのかを考察する。


論文3

回顧と展望??21世紀におけるデザイン史/ジョナサン・M・ウッダム (門田園子 訳)

[ キーワード ]
デザイン、デザイン史、歴史学、英国、教育

[ 概要 ]
ここ40年あまりで、デザイン史は学術、研究、学問上の重要な分野として認められるようになってきた。同時にデザイン史という分野への興味も広く持たれるようになっている。近年さらに、その傾向が加速しているのは、1991年のバルセロナ大学での国際会議に始まる数多の国際的な首唱によるところが大きい。「周縁から歴史を語る――歴史とデザイン史」と題されたバルセロナでの会議は、スペイン語圏でのデザイン史研究の輪郭を明らかにする取り組みであった。その翌年、要録が出版され、続いてキューバのハバナで会議が開かれた。その後、デザイン史を普及させようとする考えは、2002年イスタンブールでのデザイン史およびデザイン研究に関する3回目の会議の場でさらなる発展をみせた。「地勢図に気をつけよう(マインド・ザ・マップ)――境界を越えるデザイン史」と題されたその会議は、2004年メキシコのグァダラハラで第4回が開催される予定である。「地勢図に気をつけよう」会議ではさらなる野心的な協議事項が挙げられた。会議は13項目から成り、「周縁におけるインダストリアル・デザイン――開発途上国におけるインダストリアル・デザインの発展形態」というワークショップもあった。項目のひとつであった「語りとしてのデザイン史――ローカルからグローバルへ」には英国、カナダ、エストニア、アイルランド、メキシコ、スペイン、トルコ、シンガポール、アメリカ合衆国からの提言があった。2002年11月にデザイン史学研究会が日本で設立したことは、もうひとつの言語地理領域の要である日本でのさらなる研究、教育、学術書出版の広がりが期待できるという点で意義があり、デザイン史の普及と学術的発展にとって新たな画期的出来事となるであろう。


書評

ヴィクター・マーゴリン『人工の政治学』/評者 サラ・ティズリー

柏木博『モダンデザイン批評』/評者 門田園子


ノイズ

東西のふたつの点の狭間に遊ぶ/南武


投稿要項


会則


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