日時=2007年7月15日(日)午後2時から
場所=埼玉大学(東京ステーション・カレッジ)[アクセス]
研究発表1
発表者=遠藤律子(千葉大学大学院博士後期課程)
テーマ=近代日本の書物の装丁
研究発表2
発表者=工藤安代(「アート&ソサイエティ」共宰)
テーマ=公共空間デザインとファンクショナル・アートの課題と社会的価値――1980年代アメリカ・パブリックアート史の考察から
キーワード
パブリックアート、景観デザイン、公共空間、機能的アート、1980年代
概要
現在、公共空間につくられるアートとして「パブリックアート」は、都市の景観デザイン政策と関連する地方都市の文化政策として欧米諸国はもとよりアジア諸国でも積極的に導入がなされている。なかでも米国は、ニューディール期の1930年代から現在まで半世紀を越えるパブリックアート史を持ち、国家主導によるパブリックアート政策が本格化した60年代には、専門家の審美観を規範とし、芸術表現の純粋な追求を重視した「芸術特化型」の計画が推進され、モダン抽象彫刻が美術館の壁を越えて都市空間につくられた。しかし、70年代中頃に入るとこれらの作品は「プロップ・アート(ポトンと落ちたアート)」として批判され、設置空間と関わる「サイト・スペシフィック・アート(特定の場にのみ成立するアート)」が求められていく。この時点でパブリックアートの独自性が開花し、表現の多様性も生まれていく。景観デザインの一部をアーティストが起案するという「アートとデザインの統合」の潮流が生まれ、アーティストは単独の創造活動から他のデザイン専門家らとのコラボレーション活動へと創造のあり方を変化させていくのである。
本報告では、その後80年代にパブリックアートの主流となる「使える(Useful)アート:機能的(Functional)アート」(広場全体デザイン、舗道、ベンチ、橋架、フェンス、パーゴラ等)が都市環境デザインに現れてきた背景に着目し、創り手であるアーティスト、受け手である市民、政策を執行する行政という各セクターの相互関係を考察していく。それによって、自律的な創造行為として捉えられてきたアートが、公共空間という場において、現実の都市機能や敷地の文化性・社会性を反映するアートへ変容していった諸要因を探る。議論の過程では、アートに機能性の価値を求める市民の要求と、それに対してアーティスト及び美術専門家からの批判的な言説を取り上げ、都市空間の公共性の課題とアートの関わりについて検討することを試みる。