日時=2003年11月22日(土)午後3時から
会場=神戸大学(発達科学部F棟5階F553教室)
研究発表
発表者=門田園子(京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程)
テーマ=山中商会の「日光式展示室」について――明治期洋式家具と室内装飾のスタイルに関する一考察
キーワード
山中商会、明治期洋式家具、日光式展示室、日本式、日本美術史、1904年セントルイス万国博覧会、和洋折衷
概要
1904年アメリカのセントルイス万国博覧会において、19世紀末以降海外に販路を拡げていた美術商の山中商会は、会場の一角にある工業館内の日本部門に、Nikko Temple Room(日光式展示室)を出品し、大賞及び金賞を受賞する。それは日光廟をモデルにした縦約35.7メートル、横約25.6メートル、三方を幅約3.7メートルの縁側に囲まれた空間に、洋式家具と室内装飾を展示した、「日光式の精巧善美を尽くした大室内の装飾品」であった。しかし「日光式」という名が冠されてはいるものの、室内には「法隆寺式」や「平等院式」と名づけられた洋式家具が展示されていた。それらのフォルムは、ロココ様式やバロック様式に範をとったいわゆる西洋風の家具であった。なぜ、「法隆寺」や「平等院」という「スタイル」が洋式家具につけられたのであろうか。また「日光式」と呼ばれる空間に展示されたのはなぜであろうか。
1880年代後半の明治日本では、全国的にナショナリズムが高揚してきたことに呼応して、室内装飾や洋式家具デザインにも国粋主義的な和洋折衷スタイルが用いられるようになる。1900年のパリ万国博覧会への参加を期に、室内装飾や家具のデザイン上あらためて「日本式」なる図案が模索されることとなった。国民国家創成の道具立てとして古物保存と美術史の叙述の必要性が問われるようになり、「日本式」のスタイルが、保存の対象となった国宝や、日本美術史上に記された作品や作家をもとに構築されつつあった当時、山中商会の「日光式展示室」は、「日本式」スタイルを具体的に提示した一例といえる。
本発表ではこうした時代背景を踏まえつつ、「日光式展示室」に着目し、明治後半にあたる1890年代から1910年代における洋式家具及び室内装飾のスタイルについて分析した。
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